みなさん、こんにちは♡
私は地方で一般OLとして働いて、夫と子供の三人暮らしをしている【あゆみみ】です。2024年4月~9月まで小田桐あさぎさん主宰の魅力覚醒講座20期生として受講していました。
21期を申し込む時に紹介者としてID:pFxcR0u6 紹介者:あゆみみとコピペして使ってくださいね!
初めまして、あゆみみと申します。今の私は、夫に「宇宙一可愛い♡愛してる」と毎日言われ、プロポーズには家をプレゼントされ、子供にも恵まれて、毎日好きなことをして生きて幸せを噛みしめて暮らしています。
ですが、幼少期は親のしつけが厳しくて逃げ出したいことも沢山あったし、学生時代なんてドラマにあるかのようなイジメあって、人生の中で何度も「どうやったら早くこの人生を終わらせられるんだろう・・・。」と考えていました。
過去の私みたいに今人生の中で悩んだり、苦しかったりする人に少しでも希望と安心感を持ってもらえたら嬉しいです。まずは私のビフォーアフターからご紹介しますね^^
ビフォー
ちなみに過去の私はこんな感じでした・・・。
- 自分自身に自信がない。
- 自己肯定感も低い。
- 人に裏切られて病んで自殺について考える。
- 生きている意味すら分からない。
- クラスの女子全員に無視されるほどのいじめを経験。
- 母親に「産まなきゃよかった」と言われて絶望。
- ニート彼氏がデート代だしてくれないから自分がバイトする。
- 彼氏に尽くしすぎるくらい愛が重くて「性格が無理」と言われて振られる。
- ブラック企業に入って心身ともに病み2回入院からの無職。
- 一人暮らししても孤独すぎて辛くて続かず実家に戻る。
- 結婚適齢期に周りは結婚子供も居るのに自分は出来てなくて病む。
アフター
あんなにたくさんネガティブなビフォーがあった私ですが、今はここまで変化しました!
- 自分のダメな部分も受け入れられて自己肯定感アップ!
- 自分は愛されている存在なんだと愛を受け取れるように!
- 頑張りすぎるのを辞めた方が周囲から褒められた!
- 母との関係も良好になって孫守もしてもらえるように♪
- 人前で話すのが苦手だったのに自らイベントを主催して話せるようになった!
- したくもない仕事を手放してやりたいことだけできるようになった♪
- 夫にも子供にも恵まれて一軒家をプレゼントしてもらえるように♪
- 夫から「宇宙一可愛いし、愛してる♡」と言われる毎日!
- サプライズでほしかったドレッサーのプレゼントをしてもらう♡
- お金に全く困らず常にほしい分は巡ってくる状態に♪
- 県内外に友達ができてzoomでお話会をするほど人に恵まれる♪
- 平日のお昼から優雅にアフタヌーンティーを楽しむほど余白がある♡
ここからは私の幼少期から順にお話していきますね!
母が怖すぎて毎日親の顔色をうかがう幼少期
私は一人っ子で育ち、3歳で保育園に入る前は父が仕事が忙しかったので、ほぼ母がワンオペで育ててくれていました。
ただ、この時の母のしつけがめっちゃ厳しくて、、、。悪いことをしたら真冬に外に締め出される・押し入れに閉じ込められる・体罰をされるなんてのは日常茶飯事でした。特に真冬に外に締め出された時は寒いし、暗いし、ドアを叩いても気づいてもらえなかった絶望感。本当に母が怖くて仕方なかったです。夕飯を残しらたキレられるので苦手な料理が出る日は食卓に行くのも苦痛。
他にも嫌だったのが片づけてない私のおもちゃを目の前で捨てられたこと。確かに片づけない私が悪いんですが、勝手に捨てられるのはすごく悲しかったんですよね。
さらに後からストレスだったと気づいたのですが、無意識に爪を噛む癖がついてしまい、深爪になっている私の爪を母が見て「こんな深爪にするなら今度から爪の間にカラシでも塗ってやろうか?!」と言われたときはゾッとしましたね。
お陰で今は好き嫌いがあまりなく何でも食べられるようになりましが、当時はめっちゃ悩んでいました。
あまりにも母からのしつけが厳しくて辛い日は、父に助けを求めたくなる時もあり、父の勤めている会社に電話しようとした時もありました。が、結局会社の電話番号が分からずできなかったんですけどね(^_^;
そのくらい母から逃げたい日が続いていたのに、誰にも助けを求められず、相談もできないままで我慢をするしかない日々を過ごしました。
そんな頼りないと思っていた父でしたが、母みたいに怒らないし、小さい時の私は【優しい人】なんだとずっと思っていました。
また周りは兄弟や姉妹がいる子が多く、一人っ子って当時はあんまりいなくて、兄弟がいる子がとても羨ましかったです。家に帰れば私は怖い母と二人きりってのが寂しくて悲しいと思う幼少期を過ごしました。
習い事で疲弊していた小学生時代
小学校に上がると親戚からすっごく古いんですが、エレクトーンを譲ってもらったのきっかけに、親がエレクトーンを習わせてくれました。そこから他の友人の親からの誘いもあって、習い事を色々とさせてくれるようになりました。
ただ、親がせっかく習わせてくれたという思いが強すぎて辞めたくても辞めたいと言えなくなっていました。
気がついたらほとんど毎日習い事をしていて、一番辛かったのは、バレーボール。運動音痴なので全然上達しなくて後輩に追い抜かれまくって全然楽しくなかった。(笑)なので試合にはほぼ出してもらえず、いつも記録係ばっかやってました。
ちなみに習い事のスケジュールはこちら↓
・月曜日は英会話とバレーボール
・火曜日はバレーボール
・水曜日はエレクトーン
・木曜日は習字とバレーボール
・土日はバレーボールの練習試合
これにプラスして進研ゼミまで家でやってました。(笑)
忙しすぎて友達と遊んだ記憶があんまりなかったです。
友人と遊ぶ時間がなくなり、一人で過ごせるような趣味に興味を持って、この時に漫画の世界にどっぷりハマりました。さらにはゲームにもハマり、趣味はオタクな道にまっしぐらです。
特に最遊記、LOVELESS、鋼の錬金術師、NANA、DEATHNOTE、ジョジョ、寄生獣とか好きでした!
誕生日に単行本をリクエストして大人買いもしてましたね。(笑)
また、ゲームはFF、テイルズ、無双系なんかにハマって時間がある時は熱中してました。
攻略本まで買って暇がある日はゲーマー並みにやりこんでいたと思います。
それから漫画好きが加速して、自分で漫画や小説を書くようになり、将来の夢は漫画家になる!と周りに宣言してました。実際に出版社に持ち込んだりもして結構なる気満々でしたね。ちなみに中学生になった時に出版することも考えて出版社に原稿を送ったこともありました。ですが、結局自費出版するには150万かかると言われてびっくり!当時お金が足りなさ過ぎて諦めてしまいました。。。
この時から自分の夢をかなえたい時にはお金がかかるんだという固定概念が出来上がりました。
鬼厳しい部活に入部?!不登校になった中学生時代
中学生になってからはエレクトーンを習っていて音楽が好きだったのと楽器演奏をできることに憧れて吹奏楽部に入部しました。ですが、全国大会常連校でとても厳しくて運動部並みに忙しい部活だったんです・・・!
朝練が毎日あり授業が終わると走って部室に行き、夜7時ごろまで部活。もちろん土日も朝から夜まで部活、、、。
大会があるの日には朝5時に学校に行き大会前に練習してから大会に出たり、夏休みもほぼ毎日部活でしたね。
おかげで夏祭りとか行った事なかったです。(笑)
上下関係もめちゃくちゃ厳しくて先輩には逆らえませんでした。部室には先輩より早く着いていないとダメなので授業が終わったら走って部室に行く、廊下ですれ違ったら必ず後輩から会釈する、必ず敬語で話すこと、とにかく沢山ルールがありましたね。
そんな中で一時期先輩の陰口を後輩たちが言っているというウワサが先輩達の耳に入り、後輩全員が取り調べられて30分以上ずっと両腕をあげさせられる拷問まで受けました・・・。
想像してみてくださいね。30分ずっとバンザイしている状態って案外キツイんですよ。だけど逆らえないから上げっぱなし。疲れたとも言えず、下ろすことも許されない。。。幼少期の次に本当に怖かった思い出です。
また、中学生に上がってから何度かイジメに遭いました。原因はいじめっ子に訊いても教えてもらえなかったので、分からないのですがイジメられた内容はこちら↓
・ほぼクラス全員の女子からハブられる
・話しかけようとしたら逃げられる
・部活の私物を盗まれる
・濡れ衣を着させられる
・大声で悪口を言われ続ける
・私物を壊される
なんてドラマでありそうなイジメも受けました。朝登校したら下駄箱に上履きがない日なんてのもありました。仕方ないから靴下のまま教室に行って、それをクラスメイトに見られて笑われるとかありましたね。めちゃくちゃ惨めでした。
その時のショックで学校に登校することを考えるだけで過呼吸になったり、腹痛が起こるようになってしまい、ついには学校に行けなくなってしまいました。
さすがに心配した両親は心療内科へ連れてってくれて診断された結果は、「自律神経失調症」「起立性調節障害」でした。血圧が低すぎて朝起きられないから血圧をあげる薬と貧血もあったので鉄剤を飲むことに。それでもなかなかよくならず、昼夜逆転するような日もありました。
たまに外出した時に同じ制服を着た生徒を見るだけで吐きそうになるほどトラウマになってました。。。
「学校という集団生活が嫌!」「人なんてすぐに裏切るし信用したくない!」
という気持ちでいっぱいで高校には進学するつもりはありませんでした。けれど同じく不登校だった友人から、定時制高校という授業が午前中で終わる高校があると教えてもらいます。
当時アルバイトしてお金を稼ぎたい!と思っていた私はそこなら勉強しながら働ける!と思い、友人から誘われたのもあって受験し、あっさり合格したので進学することにしました。
(余談ですが、誘ってくれた友人は受験会場に来ず結局一人で入学することになりました。(笑)ここでも人のことが信用出来なくなりましたね(笑))
反抗期MAXの高校生時代
定時制高校へ進んだ私は、地元の中学同級生が全然いない学校だったのと校則がゆるいのもあり、とても気持ちが開放的になりました。
髪を染め、化粧をしたり、制服のスカートを膝上20㎝くらいに短くしたりと見た目をどんどん派手にしていきました。
また念願のアルバイトを始めたり、「入学式で一目惚れしました!」と告白してくれた人がいて嬉しくて付き合い、デートしたりと不登校だったのが信じられないほど行動的になりましたね。
ですが、この時付き合っていた彼が全然バイトしてくれなくて、仕方なかったんで私のバイト代でデート代を支払っていました。結局ずっとデート代を負担するのが嫌になって「別れたい」と伝えたら彼がストーカー化して家にまで押しかけられるように(泣)
めっちゃ怖くて、最終的に友人に協力してもらって何とか別れました。この出来事でちょっと男性不信になりました。
それから、うちは門限が18時だったのですがよく破って怒られたり、友人や彼氏と出かける時には親からどこに行って何時に帰ってくるのか?訊かれたりするのが鬱陶しくって衝突することが増えました。
そんな時についに母親から「あんたなんて産まなきゃよかった!」と言われて私の大切にしていた漫画本で叩かれて、とても傷つきましたね。親から望まれて生まれてきてたはずなのに、産んでくれた親から存在を否定されたのにすごく傷つきました。自分の存在価値って何なんだろう?ってこの時に初めて思いました。
こんな感じで親と激しく喧嘩をした日にはもう帰りたくないとなって、家出をして友人や新しい彼氏の家に泊まらせてもらったり、時にはビジネスホテルに泊まるようにしていました。
そんな高校時代も次の進路希望が出た時に美容に興味があったのと、ついでに家を出たい気持ちもあったので県外の美容専門学校へ進学を希望しました。が、両親は猛反対。「県外に行かせるお金なんてうちにはない!」と言われ続け毎日進路のことで喧嘩。
あんなに優しいと思っていた父が怒っている姿を見て「本当は父も私の事なんて愛してなかったんだ」と思いました。ただこの時実は父はうつ病を発症していて仕事を辞めるか悩んでいたそうです。
だけどこの時の私は、将来の自分のことで頭がいっぱいでそんな病気の父のことを受け入れられず、県外の学校に行きたくて仕方ありませんでした。
またこの時に家のリフォームもしていてそっちにお金がかかっていたのも県外に進学をあきらめてほしかった理由な気がします。ですが、幼馴染が私の行きたかった県外の美容専門学校に進学することになって、すごく悔しかったですよね。「なんでうちはお金がないんだよ!」って両親にブチギレてましたね。
結局県内の美容専門学校なら進学して良いと言われたので県外は諦めて奨学金を借り、そちらに進むことにしました。
必死に資格取得に励むのに合格できなかった美容専門学校時代
美容専門学校に進むにあたって、【中学生の時に集団生活が怖い】【特に女子の集団とか馴染める気がしない】と震えながら入学式に行きました。(笑)
けれど入学したら同じクラスの子達は見た目が派手ですが、とても気さくで優しい子達ばかり。学校生活も楽しく過ごすことが出来ました。ただ、専門学校なので当たり前なんですが、毎日資格を取るために勉強漬けの毎日。
毎月何かしら資格試験を受けていました。エステ、メイク、ネイル、着付け、他にも色彩やパーソナルカラーについてなども学びました。
その中でも特にネイルをすることが好きになって、「ネイリストになりたい!」と思い、一生懸命練習しましたね。
時には付き合っていた彼に爪のモデルを頼んだり。だけどネイルだけなかなか資格が合格できなくてネイリストへの道は諦めました。
就職活動時期になった時に「美容業界は当たり前だけど女子が多い職場になるだろうし、女子の上下関係があるのは怖いな」という中学生の時のトラウマをまだ引きずっていました。
当時は休みが多い仕事がいいのと、土日休みの仕事がいいなと思っていたので美容専門学校に行ったのに全然違う旅行代理店の経理事務に就職しました。
ブラック企業に入社して入院?!社会人時代
新卒で旅行会社の経理事務に契約スタッフとして就職した私。ですが、お金の管理はあんまり得意でなく、ミス連発でした。振込先を間違える、現金を数え間違えるなど全然向いてないことに初めて気づきます。(笑)
契約スタッフから正社員になれると聞いていたのに会社の業績的にその制度はなくなったと言われて正社員になれないならと辞めました。
その後正社員になりたくて色んな求人に応募しますが、書類選考でことごとく不採用。ショックすぎて玄関で膝から崩れ落ちた日もありました。この時にだんだんと「私って社会から必要とされていないんだ」って気持ちになって、中学生時代のようにふさぎ込むようになりました。
働いていない自分に劣等感も感じていたので正社員じゃなくてもいいから働こうと派遣会社に登録して派遣社員として事務経験を積みました。
その後も正社員での求人を探していた時に商社の営業事務に応募して受かり、念願の正社員になれました。
「やっと安定した職につける!」と喜んだのも束の間で、入社したらいわゆるブラック企業でした。先輩がどんどん辞めていき、入社3か月で辞めていった先輩の仕事をほぼ全て引継ぎました。
そんなブラック会社での働き方をご紹介。(笑)
- 朝8時半からの出勤時間なのに仕事が間に合わないので7時に出社。
(もちろん早朝手当なんてありません) - 退勤は遅い時で23時を過ぎる。何故か21時以降は残業が付かない。(泣)
- 直属の上司は毎日機嫌が悪く挨拶しても無視。パワハラセクハラ当たり前。
- 同じグループのリーダーは気分の上下が激しく機嫌が悪い時は質問したくても出来ず、教えてもくれないので仕方なく自分でやってミスを連発して怒られる。。
それでもやっとの思いでなれた正社員だったのですぐには辞めずに自分の中では頑張りました。
しかし、気づいたらストレスが溜まっていたのか体調を崩し入院することに・・・。
そこでもう頑張りすぎて体を壊すくらいなら辞めようと決心して退職することにしました。
計画的な転職から年下夫との幸せな結婚♡のはずだった・・・
退院後は職探しをしていましたが、今度こそはブラックではなく見極めて応募しようとなり、まずはノートに理想の職場をしっかり書いてイメージしてから就職活動に臨みました。
- 土日休み
- 職場の人数は10人以下
- 女性は自分含めて2人以下
- ハラスメントはない
- 定時で帰れる
- 残業代がつく
- ボーナスがある
- 車通勤できる
- 制服がある
などなど結構詳しく明確に書き出しましたね。そのおかげか全ての条件にあてはまる会社に就職することができました!しかも前の会社よりも給料がよくって最高って思っていましたね。
正社員だから安定してる、残業もない、給料もいい、土日も連休休みもある、と本当にホワイト企業でラッキーなところに就職できたと思っていました。しかも仕事も激務ではないので、空いている時間にネットサーフィンしたり、本を読んだりもしてましたね。あとは講座の勉強とかもしてました。
こんないい職場に恵まれて、心に余白ができて、本格的に結婚相手が欲しい!となり、マッチングアプリスタート。マッチングアプリでは、就活と一緒で最初に条件を洗い出し、当てはまりそうな人とメッセージを交換→デートというのを繰返しました。
本当に色んな方がいましたが、条件が合わなさそうな人とは最初から合わなくていいのがマッチングアプリの良いところ。そんな中で今の夫とマッチして→出会い→付き合い→同棲→結婚と、トントン拍子に進みんで子供も欲しかったので妊活したらすぐに授かることができて、この時に本当に人生の中で一番幸せ~って思う瞬間でした。
妊娠中はつわりもなく、働けるギリギリの期間まで普通に出勤。無事に産休に入る事ができ、出産も無痛分娩だったのですが、陣痛は普通にあって痛かったし、麻酔も最初効かなくて2回麻酔の点滴を入れることになったり。。。
しかも赤ちゃんの頭が出てこれないからと会陰切開することになり、麻酔が切れたら激痛!出産翌日は座ることもできず、身体はしんどいのにほぼ立って一日を過ごしていました。(泣)
余談ですが子供が私の誕生日の一日前に生まれたので次の日の誕生日は人生で一番壮絶な誕生日になりました。(笑)
思ったよりも出産のトラブルはありましたが、母子ともに健康な安産で無事に産後を迎える事ができてよかったです。
産後うつになり人生に絶望感・・・
ただ、ここからがまた人生の暗黒期に突入します。。そうです、産後うつになりました。
初めての育児なのに親には頼れない!と思い込んでいた私は、里帰りはせず夫に育休を取ってもらい、育児初心者同士で新生活スタート。完全母乳だったので、夫は授乳以外は本当に協力的で沐浴やおむつ替えなどは積極的にこなしてくれました。
だけれども新生児の時は当たり前ですが、寝れません。本やネットでの情報では3時間おきに授乳って書いてあるし、余裕なんて思っていた私を叩きたいです。(笑)
泣くので母乳あげる→上手く吸えないから時間かかる→吐き戻す→着替えさせる、、、という流れを一日何度繰返したか分かりません。特にうちの子は吐き戻しが酷くて、毎回着替えさせていた記憶があります。
また、最初のうちはいつ授乳して、いつ寝て、いつウンチしてとか育児ノートに細かく書いてました。「将来子供に記録を見せよう♪」なんて気持ちで書いていたはずなのに、気づいたら生真面目な性格が仇となったのか、書かないとダメだと思い込むようになり、精神的に負担になっていました。
寝れない、赤ちゃんのお世話をしないといけない、家事もこなさないと、とタスクが多すぎる日々を過ごしていく内に産後一か月の時に検診に病院に行った時に“産後うつ”だと診断されました。診断されたときは自分の子どもに「こんな弱い母親でごめんなさい」という気持ちが強かったです。
夫の育休が終わり、里帰りはしませんでしたが母が連絡をよくくれるようになったので、時々ですが実家に帰るようになりました。その時は母が沢山料理をしてもてなしてくれました。
私は幼少期好き嫌いが多くてあんなに料理を残したり食べなかったことが多かったのに、母はこんなにも今また私の為に料理を作ってくれることにとても嬉しくて涙を流した日もありました。
キャパオーバーをして心身共に疲弊した職場復帰
産後うつと言われましたが、それでもなんとか周りの協力を得ながら職場復帰する日まで育児と家事を頑張りました。久しぶりに復帰したときは仕事のやり方などが少し変わっていて覚えることが沢山あり大変でしたが、それでも育児していた時よりも楽で、仕事に行けることが楽しくてやりがいもありました。
ただ、帰ると保育園に行って離れていたのが寂しかったのか毎日帰宅後泣きじゃくる我が子。
最初の内は「寂しかったね~」となだめていたのですが、半月もそれをされると嫌になっている自分がいました。
「今日も帰ったら泣きじゃくるのか」「しかも一回泣いたら何しても泣き止まないんだよな・・・」と憂鬱になっていきました。しかもこの時くらいから食べムラが始まり、昨日まで食べていたものを食べなくなったり、市販品は食べるのに手作りのものは食べないなどという日が続きました。
時にはレシピ本を見て味見して美味しいと思ったのに一口も食べてもらえず、泣きながら投げられた時には流石にブチキレて、作った離乳食を器ごと壁に叩きつけたこともあります。。。
そのくらい日々の育児にイライラすることが多かったです。しかも夜泣きする日もあり、次の日は仕事がある平日にされると寝不足になり昼休みにデスクで寝てしまうということもありました。
そんなフルタイム出勤+育児+家事をしているうちに、私は産後一回も生理が来てない状態になり、体重も産前より6キロも痩せてしまいました。
最初は母乳をあげているからかなと思っていましたが、卒乳して半年経っても生理がきません。さすがに心配になって病院を受診すると内診や血液検査に異常はなく、ただ卵巣や子宮が働いていない状態だと言われ、原因はストレスではないか?と言われました。確かに自分でも毎日すべてのことが流れ作業のような日々で、気づいたら夜寝る時間になっていたという日々を過ごしている自覚はありました。
家族の為に育児も家事も仕事もこなして、私は自分の為にきちんと時間をとれているの?と自問した時に答えは「NO」でした。むしろ楽しいと思っていた料理することすらも苦痛になるほどだったんです。
そんな時に私のメンターであるYさんというカウンセラーの方に「どうしたら私はもっと幸せを感じられる人生になるんでしょうか?」と相談したことがありました。その時に言われたのが「頑張りすぎているから、もっと肩の力を抜いて楽に生きてみたらどうですか?」と言われて「え?楽に生きるってどういうこと??」と内心思いました。
この時から「楽に生きるって他にどうしたらいいんだろう?」と疑問を持つようになります。そんな時にAmazonkindleを見ていたら“嫌なこと全部やめたらすごかった”という小田桐あさぎさんの本に出会いました。
そこには“やりたいことしかやっちゃダメ”“苦手なことは頑張って無理する方が人に迷惑をかける”“人のエネルギーって我慢しているときが一番消費する”“育児は「自分がしたいときだけ」「自分が疲れない範囲で」”と書いてあり、まるで今まで自分が正しいと思ってしてきたことと正反対のことばかり書いてありました。
時に私はこどものためを思って離乳食レシピ本を何冊も買い、野菜やくだものをすりおろすセットも買ったり、わざわざお粥を別で作ったりして労力と時間をかなり使っていました。しかも自分がやりたいからというより、こどもの為には手作りのがいいよねって思いでしていたのでやらされている感が強かったんですよね。
そんな時にあさぎさんの本には“コーン缶をそのまま水を切ったものをあげています”とか“ちくわとかをそのまま出しています”とか書いてあり、離乳食はかならず手を加えてあげないとダメだと思っていた自分には衝撃的でした!
この本の出会いから他の2冊もすべて読み、その後あさぎさんのYoutubeでちゃん卒ライブを見るようになり、「あさぎさんの考え方っていかに疲れないようにしているか、やりたくないことをやらないようにしているかなんだなあ!」と学ぶことができました。
そんな時にちょうど魅力覚醒講座20期の募集がかかります。こちらの記事でも話していますが、めちゃくちゃ悩みました。
リアル卒業式であさぎさんに会うチャンスがあることと自分が今まで感じていた生きづらかったマインドを変えたい!という思いで魅力覚醒講座20期に飛び込みました!
魅力覚醒講座に入って頑張らない方が人生よくなった!?
魅力覚醒講座に入ると本で読んでいるだけではできなかった“手放すこと”がどんどんできるようになりました。家事は最低限にする、料理も好きだけど疲れた日はせずにやりたい日だけする、疲れたら仕事を半休にするなどできるところから始めてみました。
ちなみに家事では毎日朝からフローリングの掃除機、机をふく、トイレ掃除2か所、お風呂の掃除をしていましたが、
フローリングと机は汚れたところだけ、トイレも朝表面をサッと拭くだけ、お風呂の掃除はスプレーして流すのに変えました。
掃除は嫌いではなかったんですが、毎日いろんな箇所をしてると時間がかかるのが嫌でした。その時間を減らすか、毎日ではなくローテーションにしてみることにしました。夫は掃除嫌いというか汚くても気にならないタイプなのでどっちでもいいみたいでした。
私も初めは「汚いかな」って思いましたが、案外生活できちゃいました。(笑)というか思ったよりも気にならないし、掃除しなくても誰からも責められないので「逆にどうして今まで頑張って毎日してたんだろう?」と思ったほどでした。
料理に関しても作りたくない日は予め作っておいた作り置きに頼ったり、品数を減らしました。別に毎日一汁三菜とかじゃなくても、ご飯にメインにお味噌汁でも自分は満足することに気づいたんですよね。
夫もメインがあればいいみたいでしたし、ご飯はおかわりしていたし、足りなかったらレトルトのカレーを自分で温めて食べていました。(笑)
このような感じで家事を手放していったんですが、自分が無理して頑張ってしている状態というのはやはりキャパオーバー=疲れている状態なんですよね。そんな状態で自分も他人に優しくも許すこともできず、むしろ「成長するにはもっと行動しなくては」となっているので負荷に負荷をかけ続けていました。そうなると毎日朝からちょっとのことでイライラ!
帰ってきてからも溜め息をついたり、表情が暗かった私。だけど、魅力覚醒講座ではとあさぎさんから直接学べるというのと、受講生同士でも交流で皆手放しをする、アウトプットする環境なので、その環境に身を置いていると自分もつられていくんですよね。無理して頑張って疲弊していた生活から頑張らない生き方をしていく内に、心に余白ができてイライラすることよりもニコニコ幸せを感じる日が続くようになり、夫からは「宇宙一可愛い♡愛している♡」と言われるようになりました!
また、今まで以上に家事育児をしてくれるようになり、仕事も疲れたら休む、やりたくないことはしない、自分のやりたくて得意なことをだけをするという風にシフトチェンジしていくと月給も私だけ大幅アップし、年収だと+20万以上は上がりました!
子育ても母親だからと積極的に行うのではなく、好きな時だけするように。遊びたい時だけ一緒に遊ぶ、ご飯も子供が食べそうなものだけ与える(手作りでなく市販品もOKにした)、お風呂~寝かしつけは夫に任せるように。
そうすると子供自身も“ママは一緒にお風呂に入る人でもなく、一緒に寝る人でもないんだ”と分かってくれるようになり、今ではお風呂も寝る時も「バイバイ~」と子供から私に言うようになりました。(笑)
本当に子育てに関しては女性の皆さんは、やりたくなかったらしなくていいと思います。
子供を妊娠して出産するだけでもう満点です!あとは周りに任せましょう!!!
【頑張る方が達成感ある】とか【自分がしないと周りはしてくれない】と思い込んでいた私の人生。
でも実はそう思い込んでいたのは自分だけで、頑張ってしたくないことまでしている方が自分も周りも疲れていたんですよね。私が頑張らず、休むようになり余白ができたら夫もさらに穏やかになりました。(笑)
実は仕事も手放した?!
頑張らない生き方をしていく内に“今やっている仕事って私ではなくてもできるよね”“そもそもやりたいって思って全ての仕事をしているわけじゃなくない?!”と毎日モヤモヤする日が続きました。魅力覚醒講座の中のワークで「やりたくないけどやっていること」をかき出すワークがあり、今している仕事と書いていた私。
そんな時やっぱり体も生理が戻らず、さらに睡眠障害が起こり、寝付きにくく早朝覚醒してしまうようになり毎日寝不足状態で職場に行くように・・・。
もちろん休める日は休むのですが、こどもの看病で有給を使ったこともあり、ほぼ有給がない状態。だけど心も体もしんどい。。。
「そういえば婦人科で生理がこないのはストレスって言われたな」と思い切ってメンタルクリニックを受診。生理がこないことと睡眠障害のことを話したら「適応障害」と診断されて休業したほうがいいと診断書をもらいました。
早速上司に伝えたらすごく心配してくれて「仕事はいいから休んでね」とまで言ってくれてすごく感謝しました。
次の日に同じ部の先輩に「来週から休業します」ということを伝えて引き継ぎ(と言っても先輩が前していた仕事なんですが)をしようとしたら「適応障害に見えない。元気そうだし」「今後の仕事の引継ぎどうするの?!」「私がしないといけないの?!」「もっと早く休業すること言ってよ」「無責任だから正社員向いてないんじゃない?」など色々と言われて(内心確かに急に言われても困るかなとは思いました)
今回は精神的は病気で休業しますが、これがコロナやインフルなどの病気だったら、そんなこと言うんでしょうか。。。
みなさんも急な熱などの体調不良で次の日から休みたいのに「引継ぎあるから出てきて!」なんて言われたらどうします?無理していきますか?私は移すのも嫌だし、自分の体を治したいので休みます。。
だけど魅力覚醒講座に入る前の私なら先輩と同じ考え方をしていて、自分のやりたいことすら分からずモヤモヤを繰り返し、結局休みたくても休みたいすら言えなかったと思います。
ただ、こんな感じで先輩に受け入れてもらえず、返す言葉がなかった私は、先輩が帰った後に自分自身を責めて号泣しました。「私と関わる人って全員不幸にしてしまうのかな」「もう生きている価値すらないのかも」という気持ちになり、帰宅後夫に「結婚して妻になってごめんなさい」「こどもも生んでしまってごめんさない」と泣きながら謝りました。
それを聞いた夫は優しく私を抱きしめて「俺はあゆみみが妻じゃないと嫌だよ」「絶対離婚しないから」「大好きだよ」と言ってくれて夫の愛を受け取りさらに号泣を通り越して嗚咽。
結局上司に先輩の件を伝えたら「もう明日から休んでもいいよ。仕事はなんとかするし。あゆみみさんがどうしたいかだよ」と言ってくれたので、次の日から休業という形で仕事を手放すことにしました。7年も勤めて定年まで勤めようと最初は思っていた職場。
正社員で収入も安定して休みも多く、いいことが多い職場でしたが、あっさりと手放してしましました。魅力覚醒講座を受ける前の自分では安定がなくなるのが怖すぎて手放すのは絶対無理でした。(笑)
最後に・・・
ここまで長い長い私の人生について読んでくださり、ありがとうございます。
最後にお話しした職場の件も含めて私の人生って「我慢を重ねて爆発する」を繰り返しているような人生だったと思います。魅力覚醒講座出てくるライフライン(出来事の折れ線グラフ)を書いた時もマイナスからプラスへのブレがすごくて急降下と急上昇を繰り返していました。
けれどこのブログを読んでくださっている人もそういう方って多いんじゃないかな?と思っています。特に日本人は我慢が美徳とされたり、清貧を好まれたりするので、本音を言い辛い環境が多数なのではと個人的には感じます。
そんな多数派のガチガチに我慢の塊のような考え方を“もっとゆるく楽に好きなことで生きていこうよ”“手放しても大丈夫だよ”と温かく教えてくれるのがあさぎさんの魅力覚醒講座だと私は思います。
あさぎさんももちろん温かいのですが、それ以上に一緒に受講しているアサギスト達があったかい♡
今回の仕事の件もアウトプットしたら皆「よく今まで頑張ったね〜」「ゆっくり休んで余白作ろ〜」とか肯定して慰めてくれたり、励ましてくれた人ばかりだったんですよね!
地方在住で友達も数人しかいなかった自分も全国に友達ができて、会いに行ったり、zoomで楽しくお話できるほどになりました。
講座自体は約5か月と半年もないんですが、その間にマインドは180度変わり、その後も人生がいい方向へ変わり続ける講座ってあんまりない気がします。そのくらい学びが深くて継続的になれるということです。
改めてなのですが、私は魅力覚醒講座を受けて【一人でも多くの女性が幸せを謳歌できる人生を送る世界】にしたいと思っています。そのために今回私の過去をさらして、ここまで変化するできたことを皆さんに伝わってくれたら嬉しいなと思いかき出してみました。
そんな小田桐あさぎさんの魅力覚醒講座ですが、悲しいことに今期21期で受けられるのが最後になります・・・!
なので私も21期もまた受けます!だってさらに魅力を覚醒していきたいし、今度はOG生として現役生と交流したいからです♡
もしこのブログを読んで魅力覚醒講座受けてみようかな!と思った方は是非下の紹介者名とIDを書いてくれたら嬉しいです!私と会ったことないし、知り合いじゃないしと思わなくて大丈夫です♪そんな方でも全然気軽に書いてください^^
21期を申し込む時に紹介者として
紹介ID:pFxcR0u6
紹介者:あゆみみ
とコピペして使ってくださいね!
21期に入ったよ~という方はお問合せから連絡してくれたら嬉しいです♡是非仲良くしましょう^^
本当にここまで長い文章を読んでくださって、とてもとても嬉しいです!ありがとうございます♡
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